2/1 末の松山/興井(おきのい)から砂押川(鍋山の会)
前回の潮風トレイルの続きは松尾芭蕉の訪れた末の松山、興井(おきのい)そして以前の七北田川の河道、砂押川を巡ります。今回は多賀城廃寺からの散歩を少しだけ省きますが、本来は途中にある東北学院多賀城の跡地(25年秋より再開発される住宅地) を通ります。まずは仙石線多賀城駅から歩き始めます。

駅から南へ歩き出すとすぐ砂押川を渡ります。100mほどの先を右に折れると程なく、左側に宝国寺があります。その後方に末の松山があります。「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」(約束しましたね。互いに涙で濡れた袖を何度もしぼっては、あの末の松山を波が決して越さないように、二人の中も末永く変わるまいと) 和歌が有名ですが、むかし地震で津波がありこの場所で助かったとの伝承があります。興井は4代藩主伊達綱村が手厚く保護したと示しています。一服入れた後ここから北西に向かい、砂押川の河川敷を目指していきます。川の中ほどでは白鳥や鴨がお迎えしてくれるでしょう。「ハックチョウ」かぜかな?