1/6 小野目館から明石神社

泉市の団地開発の延長から富谷町(当時)は東向陽台が1971年、明石台は1989年から。今回は明石台開発前(1961年)の景色を想像しながら、明石川支流の川に注目してみました。県道56号線(仙台三本木線)の起点は泉区鳥居原交差点。ここから5kmほど入った明石川の支流地域は今も昔の風景が残る地域。取りつきは標高101.3mの小野目館跡。別名美濃館と呼ばれ、館主は黒川安芸守家臣の鈴木美濃(1573~1592)と伝えられている。国分氏と留守氏が松森城と岩切城で死闘を繰り広げた天正年間の館だ。現在はいのししの柵で頂上付近には入れないが、熊野神社や鳥居が残されている。 

ここから車で約5分。明石川支流に神明神社と明石神社がある。明石の地名の由来は、この神社の入口にある巨岩が赤褐色だったからだとか、南北朝時代(1336~1392)の武将明石長門守高宗が居住していたからだとも伝えられているが、この上流に桜木製鉄遺跡があればごもっとも。     

写真下:富谷市南部の遺跡分布 上  団地開発前の1961年当時 資料:富谷市ホームページから)では

今回のコースは小野目館と熊野神社をまわり、その後、神明神社と明石神社を巡りました。残念ながら桜木製鉄遺跡は確認できませんでした。

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