2/6 旧田子堰と矢搦(やからめ)の渡しを歩く(鍋山の会)

真冬の月曜日、風は少し冷たいもののお散歩には温かめな一日でした。一万歩を目指して、その昔あった芭蕉も歩いたといわれる矢搦の渡し跡と田子堰跡を歩いてみました。

昭和57年(1982)まで使われていた旧田子堰跡

今市橋は通れなかったのか?

今回はスポパーク松森駐車場から七北田川の右岸を歩きます。一番上の地図は明治38年(1905年)のものです。岩切東光寺前の今市橋は幾度となく流されていますが、地図上では東光寺正面ではなくかぎ型になっています。芭蕉が通った際も流された橋を渡ることができず、矢搦の渡しを通ったんでしょうか?(赤い線は芭蕉が歩いたであろうコースを記入してみました)

真ん中の地図は七北田川改修前の昭和51年(1976年)の地図です。丸く囲んだ地図の右側に細く流れているのが田子堰からの水路です。昭和57年七北田川の流れを直線にする河道改修が行われ、それまであった田子堰も廃止され、薄ケ沢堰に統合されました。

今日歩いたコースは一番下の地図です。

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