6/21 秀衡街道を歩く(鍋山の会)

今回の散歩は、平安時代末期から鎌倉時代に北東北を治めた藤原秀衡の名前が残る街道を歩きます。秀衡街道は栃木、宮城、岩手などで今も残る古街道です。①はじめに仙台北環状線と上谷刈の明泉幼稚園に登るところから歩き始めます。この道は団地造成前には仙台に野菜を売りに行った道だそうです。

続いて、②丸山峠に行ってみましょう。石碑が残る街道筋ですが、ここから水の森公園内を通るのが街道です。現在は通れなくなっています。ここから西へ行くと鳥居の奥に眼の神様、養気滝不動尊があります。

そして最後は③水の森公園の南端、水の森市民センターから公園を散歩してみましょう。歩いて程なくして、叢塚(くさむらつか)があります。この碑は過去に飢饉・疫病で亡くなられた方を供養するために建てられたものです。仙台市内や東北地方には多くの叢塚がありますが、江戸時代の三大飢饉「享保、天保、天明」で多くの犠牲者を出した際に供養するために建てられた碑です。

さらにもう少し進むと公園内の分かれ道に焼場供養塔があります。これは明治時代にコレラで亡くなった犠牲者を供養するためのものです。この道筋が秀衡街道の一部になります。

さて、もう一度来た道を戻り、水の森市民センターからもう少し南の陸橋④からの眺めを堪能してください。絶景が広がっています。街道はほぼ尾根筋に沿って作られています。

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