6/5 浦田山ってどこ?
南光台は団地開発前、浦田山という山でした。
古くは伊達藩のお狩場で、鹿や猪の棲息地であったようです。戦前は牧場が広がり、なだらかな山だったことがわかります。そして戦後、仙台市の急激な人口増により、ベッドタウンとして開発されました。南光台は山を削り、谷を埋めて現在の地形に造成されました。浦田山には天ヶ沢をはじめ、いくつかの沢がありましたが、団地造成の際に埋め立てられました。(参考:南光台の歴史検・発掘講座~南光台の半世紀を探る 仙台市市民センターだより 提供資料
天ケ沢(南光川)をさかのぼる
ブルドーザーで平らにしたことで、あったはずの沢が見えなくなっていますが、標高を頼りに天ケ沢をたどると、下の地図の赤線のようになります。さあ、どこまでたどれるでしょうか?
上記の市民センターだよりによると浦田山は泉区と宮城野区の南西方向の境界とあります。これを頼りに浦田山を読み解くと、国土地理院地図による最高標高68.6mの三角点は旭丘にほど近い場所。まずは宮城生協南光台店から南へ、四条通を下った坂下が天ケ沢(南光台川)ということになる。川筋をまた南に下がりそこから西に向かうと浦田山ということになります。
南光台3丁目公園も視界はかなり良好だが、あと4mほど高い場所がありました。公園から西に旭丘幼稚園の裏へ回るとそこは旭丘中央町内会の集会所。そこに三角点がありました。
さて、帰りは天ケ沢をどんどん下ります。そして、南光台5丁目の南光台すいせん保育所の南西に天が沢不動明王がありました。以前の場所から移されたそうですが、昔はきれいな水が湧き出ていたそうです。