10/15 第1回講演会「松森かいわいの歴史について」戦国時代の鶴が城から松森街道など
小林眞勝先生の紹介 昭和18年生まれ 山形県出身 東北大学工学部に国家公務員として就職、2016年定年退職 現役時代から歴史に従事、東北の港湾調査、明治維新後の東北7大プロジェクト(野蒜築港、安積疎水、貞山堀、東名運河、北上運河)などを調査研究。仙台市営地下鉄開業を前に北仙台から北山五山の散策道を試案。仙台鉄道の栄枯盛衰、四ツ谷用水の本来の目的を調査研究。また、仙台市文化財主催の地元学に従事。現在もFMいずみに毎月1回出演中、などご活躍中です。
今回は小林眞勝先生を招いて、「松森かいわいの歴史について」と題して講演会を開催しました。先生からは昭和43年くらいから、将監団地など、泉区の団地造成が始まったこと、その中で47年鶴が丘、58年松陵団地の造成が始まったことから、お話しされました。
松森という地名はどこから
歴史書から国分家第6世盛胤(1283-1353)の次男政継(1292-1333)が20歳のとき、1312年将軍に近侍し、5百余町を賜り、国分荘松森邑に居る、が松森の地名が出る最初である。松森城は鶴翼の陣形ということから「鶴ヶ城」とも呼ばれ、戦国時代第16代国分盛顕(1533-78)がここに移り第17代盛重が天正年中の頃まで居住したとあります。
松森は交通の要衝
中世の道は鎌倉時代に奥大道と呼ばれた。仙台平野を南北に貫通する幹線道路は戦国時代にやや西寄りに道筋を変え留守領の小鶴・燕沢付近から松森に至り、松森から北上して黒川郡に抜ける、もしくは東北に進んで利府に向かい、利府から郡境を越して黒川郡に入ったとされる。
先生からはその後も、正宗の側室飯坂の局が身を引いた場所が松森であったことで「松森御前」とよばれたこと。江戸時代には藩のお狩場でシカやイノシシの生息地であった浦田山(現在の南光台)から、鳥狩りの御弁当場に松森邑あげて設営準備にあたったことが示されている。
さらに松森にある神社仏閣 清水寺、不動尊、熊野神社、大亀神社、鹿島神社、鹿島開拓地や松森焔硝蔵など、多岐にわたる説明を貴重な写真も交え説明いただきました。
開催地 松陵市民センター2階会議室 出席者23名 開催日2022年10月15日 10:00~11:30